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2008年2月15日
今週はおとなしくしていた。先日の食アタリから体がまだ完全に回復してなかったのである。悪くなった水(カニ入り)を酔ってウッカリ(おまけに大量に)飲んでしまったのが原因なのだが、腎肝機能がなかなかもどらない。昨年のカナダからテントまたは車中泊つづきで家で寝たのは北海道で3日か4日という状況だったので疲れもあったのだろう。ともあれ、休んだおかげで大体元気になった。みんなもカニには気をつけませう。
2008年2月11日
日曜はオーシャンと日蓮崎。祝日の月曜はシーサイドへ。
日蓮崎のクラックはフィンガー からハンドサイズまでカバーしててゴマかしも効きづらくナカナカの高質でゴザる。シーサイドは8人待ちができる混雑であった。賑やかなところ、あるいはどちらかというと賑やかなところが好きな人が多いに違いない。
2008年2月7日
食中毒で2日間寝込んだ。熱と下痢で苦しかった、が私は、まてよこれは体が軽くなっていいのでは..と考えた。そして今日グリコーゲンをたっぷりとって免出氏としりいだしのスラブにでかけた。案の定のぼれた。(戦車:7b+薄せんべいのような2つのカチスタート、右の台座岩は使わない)
ウヒヒ..といいながら門脇に移動した。
さてやるかとヌンチャクをかけムーブをやってみるが左肩が痛いのに気がついた。こないだ浮山スクールで調子こいて 未登課題なぞやったせいだろうか?迷ったが止めることにする。だが私は次のように考えた。(オレもよくガマンできるようになったものだ。)
2008年2月2日
ミワくんと漁火、浮山とまわる。マルチやってる人は体の中に蓄積してるものはあるので
ちょっとしたキッカケで突然 ヒラヒラーと登れるようになったり(しそうな気が)するんですよね。ウキヤマではマツダ氏がスコーピオン、74回目のRP。ムカシ、ニシムラ、イマ、マツダである。
2008年1月30日
長九郎山から南伊豆の山中、つづら折りの坂を下田へ抜ける。道中、川畔には菜の花が鮮やか。ラジオのFM聴いてたら今日もヘタレた歌が流れる。(ぼくらーは弱虫さーだぁけどもー)しっかりしてちょうだいや。この国、滅びまっせ。
2008年1月29日
伊豆半島の西に岩探しにやってきた。松崎町にはいって雨が強くなる。目指した岩はやはりポテチンで
あった。露天風呂に行く。上にしげった木から激しく水がおちてくる。受け付けのバーさんがイナカらしくてよい。。今夜は長九郎山登山口の空き地で車中泊することにする。
2008年1月27日
ファミリーでクラック講習。となりではメットもった人達がモクモクと登っていた。。フィンガージャムでてこずる人は多い。まず多いのは手の平の厚い人だ。こういう人は第三関節を曲げる虫様筋が勝手にはたらいてしまってジャムした時、指先に力がはいらなくなる。さらに日頃手の平に頼りすぎていれば指屈筋が鍛えられてなくて虫様筋の力が抜けても問題があることになる。手の平に頼りすぎているひとがどういう人かというとガバでもカチでもあまりかわらない人(ガバでもパンプしてくる人)だ。
しかし指の第一関節筋ばかり使っている人も ガバで張ってくるか。うーんこの内容の日記いつか書いたな。まあいいや。どうせあんまり理解してくれてる人はいないから結論を書こう。手の平が厚くてフィンガーが決まらない人は虫様筋をつかわないようにするとともに前腕を使うようにする。
手の平が薄くてジャムが抜ける人は浅指屈筋(第二関節筋)を使うようにする。
いずれにしてもキーワードはガバ力。かぶったフィンガークラックが登れればガバルートは登れる。その逆はかならずしもいえないけど。(手の平と前腕の合わせ技でガバが得意な人も沢山いるからね)
。今度、指の故障について書いてみたいと思います。
2008年1月26日
シーサイド、 賑やか。マッチー町田氏、2度目で 風にふかれて見事R.P キョンの練習よりも、キメテになったのは 穴の持ち方だったもよう。スクールが終わって少し時間があったので珍しいワイドハンドのクラックボルダー開拓(ヤハタノオロチ6c+)。(場所はヒミツ、叱られるとこまるので)
2008年1月24日
今シーズン、2回目のプライベイトクライミング。スクールというものは意外に疲れがたまるものでなかなかベストなコンディションをつくるのは難しいものだ。少し体が重いのでスラブから始める。5メートルの課題だが下地が悪いのでトップロープセット。整地すればボルダーでもやれそうだが、まあそこまでこだわることもなかろう。
今回が2回目だが結構よい。伴奏者が5段なら2段半くらいはあるのだろうか。続いて門脇のボルトルート、始め日当たりがよくうまくいかなかったが夕方、陰って急に良くなった。おっいけるかと思ったが意外な展開に心構えが出来ておらず最後のカチデットに指が反応できもうさんでごわした。
2008年1月23日
先日、さる方から(ロクスノは次号で終りというウワサですよ)というハナシを聞いた。(えっ)と思ったが、そりゃそうかとも思った。自分自身ここ1年は、よんでない。ワタシらが(少なくとも私が)読みたいのはコンペの成績とか安直なマニュアルものではなく
魂を揺さぶるような登攀のハナシだ。そんな投稿があつまらない理由を考えるべきだ。
2008年1月20日
クラック講習、ハンド『イサリビライト』、フィンガー『バンブー対岸クラック』、フィスト(ゲルニカ』とたどる。バンブー対岸クラック(5.10c)は短いけどなかなか面白い。
2008年1月19日
八幡港をブラつく。シーサイドにはダウンジャケット姿のクライマーたちが寒そうだ。港をはさんで反対側、チーサイドの古墳(あるいは土俵)のようだったギズモの取り付きの石積みは私が奥のほうに格納していたフランスベットもろとも跡形もなく流されてしまっていた。今シーズンはおたつの悟空ハングもルートみたいになってるし半年の間にいろいろなことがあったのだ。
2008年1月17日
富戸の北の海岸線を歩く。フナムシよりも北。川奈までのあいだには玉石の海岸づたいに単発でなかなかの岩場がある。この岩にボルトを打ってのぼったら楽しいだろうなと来るたびに思う。
2008年1月14日
連休3日目、シーサイドは大賑わい。懐かしい顔もチラホラ。みんなでおちれば怖くないのであろうか、Aキタくんなどはコロッサスで10メーター位墜ちていた。ところで今回スクールは途中から体質改善トレーニングに挑戦した。手の平が厚く手の平筋ばかり使っているひと(人工壁は得意なはず)には
テープで前腕をしばりあげて手の平筋を使えないようにし、反対に手が薄いヒトには手の平筋の使い方を伝達 。この先どうなるのであろうか?それは(我が国の)神のみぞ知る。
2008年1月13日
赤沢港にニーさんたちの登りを見学に行った。ルーフクラック主体の懐かしいエリア。開拓してたころよりダイバーの数が増えて波間にアタマが浮きつ沈みつしていた。私のオススメは赤沢バンダルス(5.12d)とロンリーチャップリン(5.12a)。ジェノサイド(5.13a)も是非ダレか2登してほしい。
2008年1月11日
ここからは大川の温泉と別荘街の赤い屋根や青い屋根がたくさんみえる。大きなテント張ってみんなで住むわけにはいかんのかねぇ。
2008年1月10日
みなとや旅館に風呂に入りに行く。玄関の水槽には今日もカサゴが行儀よく並んでいる。カメラを向けると悔しそうにこっちをみた。
2008年1月5日
小林さんと一年ぶりに再会、フナムシと浮山をハシゴ。久々の岩場ということだったが奥方と娘さんの見守る中、のぼりこむほどに力が抜けてバランシーになるようであった。
2008年1月4日
正月4日、箒山、標高500メートルから見張らすと車は流れない。午前中、渋滞の起きる前に稲取の浜に行ってでっかい大根とクレソンと明日葉をとってきた。スーパーで醤油と石鹸購入、稲取の町には都会からきた観光客と地元の人々がいりみだれて、昔の懐かしい活気があるように感じられた。
2008年1月2日
年末から4日連続の講習、おおむね快晴、風波高し。前回の日記にくびのことを書いたらくび、肩、腰にトラブルをかかえる人達がたくさん来てくれた。皆さん、そんなことであきらめるのはちょっと待ったでございますよ。
2007年12月24日
シーサイドに降りるとシーズンインしたもようで賑やかであった。三島のオバサマはシンデレラボーイに挑みつづける。が調子が悪いらしい。右手に尺骨神経のトラブル、左側には撓骨神経の圧迫があってパフォーマンスの低下をひきおこしているようだ。自分におこっていることだからよくわかるのである。
首の骨が捻れてしまって腕に行く神経が電圧低下を起こしてしまっているわけだ。神経トラブルは筋肉の硬直化を招き硬くなった筋肉がさまざまの関節や靭帯の障害をよぶ。この状態に陥っている人はたくさんいるはずである。首に違和感があって指や手首のちからがおちてきたり痛めやすいようなら一度チェックしたほうがよいと思う。(これは少し時間がかかりまっせ)ってなこといいながら首まわりをもんであげた。
2007年12月22日
デイドリーム通してトライ。下部はつながって上部3ムーブも感触がよくなった。撮ったビデオを見ると大阪城にぬすっとがヘバりついてるようにも見えるがまあよかろう。
2007年12月21日
笛吹川川畔でごいす。たしか以前(笛吹川)という小説を読んだことがごいす。あたりには対岸の畑から逃げ出した大根が野生化しているのでごいす。ほんとにこんな
言葉遣いするんでごいすかねぇ。
2007年12月19日
八幡野からシーサイドへ遊歩道を歩く。ファミリーに降りるとマザーの下のテラスに蘭の花束があった。無念だったろうな。
2007年12月18日
海岸を歩く。シーズンではないので観光客は誰もいない。あかねの浜の望遠鏡ルートは崩壊して トンネルになってました。
2007年12月17日
イラク戦争のころから、(特に)我が国はおかしい。参りました。何でもアメリカのいうとおりにします、といってるようだ。誇りと自信を失ったようだ。。何もアメリカにさからったとて、命まではとられまい。目の前の安定(安楽)にどっぷり浸っているファットな人間どもにものもうしたところで尊敬はされても軽蔑はされまいに。毎日くるアホみたいな出会い系の広告エロメールをみてたら思ったよ。
2007年12月16日
城ケ崎に帰ってきた。故郷に帰ってきたような懐かしさを感じる。大学辞めて廃屋に隠れすんでのぼりこんでたころからどれだけの日々がすぎたことだろう。スーパーの雑踏もなぜかいい。今日は漁火、教授と三重の田中くん。懐かしいニーちゃんたちにもあえた。
2007年12月14日
デイドリーム、核心の出来がよくなった。週末の城ケ崎スクールのため一旦ここを離れる。途中クライミングジム、ピラニアによってみようとするが発見できませんでした。
2007年12月10日
デイドリームにいくつもりだったが雨、スクールの宣伝しとこ。今週末からいよいよ城ケ崎スクール開催です。今シーズンは新たにトップロープトレーニングの日を開設しました。登れるかどうかということにこだわりすぎるとどうしても得意なホールディングが多くなってしまいます。
そこで今シーズンはその反省をふまえて少しやさしめのルートで何種類かのホールディングが使い分けられるようになるような講習を目指したいと思います。初心者のかたはもちろん5.11以上にトライされるかたもあらたな発見を見つけに是非ご参加下さい。
(フェースとボルダーの日にもやりますよ)
2007年12月9日
乾いた落ち葉のラッセルをしてデイドリームを目指す。確率は低いができなかったムーブが出来て、可能性がでてきた。
2007年12月5日
前回、出来なかったデイドリーム(写真)の中間、3ムーブの解決をめざした。傾斜はきついもののクラック右側の壁には小さいがしっかりしたレキがたくさんある。おまけにクラックはオフセットしてジャムとレイバックのコンビネーションが使える。
右足の位置をあげると2ムーブが解決した。それにしても痛いクラックだ。1トライ目はよくても2トライ目は痛さで手がでなくなる。まっ痛けりゃそれが生きてるってことでござんすかねぇ。
2007年12月3日
以前、昇仙峡に通っていたのは15年ほど前で(カサンドラクロスという5.12cのクラックを初登した) その時と比べて、一番変わったなと感じるのはこの観光地のさびれ具合いだ。前と同じ覚円峰の近くの無料駐車場にいるが
駐車場自体は赤松林が川っぺりにあって昔と変わらないのだが観光客がいないのだ。いないったらいない。
閉店した土産物屋も多い。数少ない観光客相手のバーサンの客引きは、もはや正視できない哀れさだ。風景としては悪くないとおもうのだが、もはや時代遅れと言うことなのか?この国の人々はどこへ向かおうというのであろうか?
2007年12月1日
コブラクラックは全長30メートルのルートだが、途中に両手を離してレストできるレッジが何ヶ所かあって実質的には120゜にかぶった中間部分、10メートルのルートといえる。
岩の感じはそのままにしてこの核心10メートルをとりだして長さを半分にし傾斜を10゜加えてサイズをちょっと細くしたら昇仙峡のデイドリームのできあがりだ。20年前のクラック全盛時代の未登課題。私も当時、何度かかよったが
あまりの痛さとあまりの見映えのチンクさに結局、めげてしまった。
さて、そして本日、一体今の自分はあのころと比べてどうなんだ とおもいながら40分の坂道をのぼっていった。苦労してフィツクスを張りブロッカーでトライ開始。結果、前半のやさしめのパートとラストのレイバックからのリップへの
ランジムーブは楽になっている感じがした。中間の指先のジャムが抜けてくる。ここが核心だ。ともあれ今の自分にはまだトライする資格があるようで素直に嬉しかった。
2007年11月26日
ノブと善光寺、岩は溶けた雪で濡れていた。しかしバーナーであおれば乾いた。ノブは艫(6b+)をのぼり私も10手ほどのハングプロジェクトにアタックを繰り返した。
2007年11月25日
登別の浜を歩いていった。若い人たちがたくさん登っていた。ブラックホークを登っているニーちゃんもいた。焚き火にあたっている人達もいた。奥の浜で地味にやっている人もいた。私はいつものように岩場の上でアサツキをとり『そうかそうか』と思いながら岩場をあとにした。
2007年11月18日
登別港、寒い。午後からは毎度おなじみカルルス方面からの吹き下ろしも加わった。車を岩の真下までもっていってササッとトライしては素早く車にもどる(タッチアンドゴー作戦)採用。しかしまあなんといっても本日のハイライトは70代にしてマスマス、サカンなる青木夫妻が夫婦そろって6aボルダー(ディンプル)の一撃に成功したことであった。
2007年11月17日
有珠、善光寺公園、開園しているシーズンを避けて今年もやってきた。どこにだしても三ツ星のデカいボルダーがふたつ、事務所の前に鎮座している。付近の新発見のボルダーも加えてジョージ夫妻、青木夫人と課題設定に燃えた。
2007年11月15日
舞鶴港に向け、日本海沿いの国道9号をひたすら北上、以前は宍道湖のあたりにさしかかると、絶望的な渋滞に巻き込まれることが多かったがいまはあちこちにバイパスが整備されて楽になった。ものの11時間かけて到着。
2007年11月14日
実家の近くのササヤカな岩場でササヤカにボルダリング。細い登山道をそれるとやたら密生した胸までのシダでたちまち身動きがとれなくなる。なにがどこにあるのか、全然わからなくなるのです。さすが南国だわい。
2007年11月11日
陶ケ岳、ここには赤い屋根ハングというところに19年前(多分)にボルトを打ち、6年ほどまえに再びトライをはじめたプロジェクトがある。1テンまでいってるので触りたかったが今回は急な帰郷でパートナーがみつからなかったのでこれまた最近くるたび(といってもめったにこないが)やるボルダーにトライした。垂壁だがホールドが細かい。しつこくやって1手前進、やれうれし。頂上壁に行くとツッチーがセミナー壁の新人さんたちに講習(?)していた。
2007年11月8日
昨日、山口に帰郷した。小郡のアクティブスポーツに顔を出す。店長の徳本さんに今回もいろいろいただいてしまった。夜は陶ケ岳のちかくの仙坊川公園キャンプ場泊。ここは素晴らしいキャンプサイトだ。トイレも水場もきれいでおまけにタダ。(役場でもうしこむ必要あり)将来ここに泊まって陶ケ岳に通うクライマーがあらわれる日はくるのであろうか?なんとか陶を再生させたいもんだと思うのだがいかがでしょうか?
2007年11月5日
今日はなぜか関ヶ原で寝ている。きのうとおとついは小川山と湯川でスクール。大勢の人が来てくれてありがとさん。ゼヒこれからも頑張ってください。(あっいてっ)
今、蚊にくわれた、そんなもんが まだいるのか (ワナワナッ) 。
ところでフィンガージャムが決まらずとなりにガバがあれば思わずそっちを使ってしまう人には2つのパターンがある。ひとつは手が分厚くて前腕の筋肉が働く前に手のひらの虫様筋という筋肉が働いてしまって指先に力がはいらなくなってしまうパターンで、これは人工壁のフェースは得意だがスラブやクラックは苦手という人。
もうひとつはこれは女性に多いが指の第一関節腱ばかりつかっていて第二関節腱をつかう習慣のないひとだ。こういうひとは使う筋肉が第一関節腱だけなのでヤセてないとのぼれないことが多い。改善するには手が厚くてジャムが決まらない人は虫様筋を使わないようにすればよく手が薄いが決まらない人は第二関節腱(浅指屈筋腱)を使う習慣を身に付ければよいのではないでしょうか。
具体的には手のひらが厚くフィンガージャムが抜けてくる人はジャムしたら第3(指先から数えて)関節の力をぬくようにする、手のひらの薄い人は普段の登りに浅指屈筋を使ったホールディングをとり
入れる、そのためには小指をつかうようにするとよいです。小指がかかることによってほかの3本指は第2関節腱がつかえるようになるし小指自体フィンガージャムでは非常に大事ですから。
2007年11月1日
関空に昼過ぎに到着して、小川山をめざす、今夜は中央アルプス空木岳の登山口の無人駅泊とする。駅の出口側は国道が走っててうるさそうなので山側の軒下にシートをひいてシュラフをひろげる。もう電車が来る時間でもないし、と思ったのが大間違い、貨物列車が30分おきに地響きをあげて鼻先をかすめてゆく。が旅の疲れかいつのまにか深い眠りにおちていた。
2007年8月14日
川上駅からバタバタと小海線に乗りこんで西へむかう。目指すは関西国際空港だがどこにあるのかよくしらないのだ。鈍行を乗り継ぎ長い旅がはじまった。名古屋から関西本線にのりかえる。ボルダーエリアで名高い(笠置駅)を見付けるとおりたくなった。かくして今夜はボルダーエリアの近くのキャンプ場泊でござる。関西人は夜もふけてカネやタイコをたたきならす。数日前の小川山のマナーモード的な静けさが懐かしい、もののそれも旅の楽しみでございましょうか。
2007年8月13日
ナカネホタカの開拓中のボルダートライの見物とスポットにいく。まあよくも苔まみれの岩をひとりで掃除したもんだ200キロぐらいありそうな岩をひとりでうごかしたもんだ。火曜が休みらしいのでだれかつきあってやってくださいな。
2007年8月12日
小川山と湯川でクラック講習会、今回は冬に常連できてくれてた人達に連絡しなかったので講師だけになるかと思っていたが意外に賑やかな講習会になった。キビタキ、クレイジージャム、サイコキネシス、バンパイアーなどクラックの王道をゆくルートにトライ。これらがそのままそうというわけではないがクラックがうまくなりたいと思ったらフットホールドのないルートを選ぶことだ。ジャムが効いていないとあがっていかないような。
2007年8月7日
エリモ岬に足をのばす。ガスッた岬の下には日高山脈のはじが太平洋に沈み込んでいるのがぼんやり見えた。天馬街道の近くの沢筋にチャート系ボルダーがあるはずだったがゲートが締まっていて敗退。
2007年8月6日
平取町のUFO発着場を見学に行った。アタマがヘンになったわけではない。今の地図にはのっていないが少し古いロードマップなどにははっきりとUFO発着場の所在がしるされているのである。
沙流川をわたった小高い丘の上にそれはあった。駐車場の街頭の上にはブリキの筒のようなものが風にあおられすごい勢いで回っていた。UFOを呼び寄せようというのであろうか?斜面を少しのぼるとはっきりと発着場が見えた。ところどころにあいた穴は隕石の衝突に因るものなのであろうか?私は震える手でシャッターを切った。
2007年8月5日
吉川夫妻と神居岩、暑い。石焼きビビンバになってしまいそう。 せめて名前だけでも涼しげな樺太鉄道にとりつく。細かいホールドはないがつづくのでもたついているとジワジワはってくる。この日は他に下川のガッツ君が前傾
クラックの『元気があってよろしい!』をリードしていた。
2007年8月1日
旭川に行って『北の大地』製作、結構てまがかかる作業でスクールやってたほうが、そりゃ楽だが、苦しい時代にハヤウチマンがやらしてくれた仕事なので続けている(今も裕福というわけではないが)
が、こいつもボチボチだれかに任せるときなのであろうか。とりあえず、今回は青巌峡と西巌峡のニューボルダー 、いれときました。
2007年7月29日
金山湖、湖水祭りの日、一年に一回だけうちの前の道路が渋滞する日だ。花火がうちあがる。花火師の緊張が伝わるようにショボショボドンドンと打ち上がる。いつもとはまったく違う場所になった湖畔にブタ
串のにおいが夜更けまで漂っていた。
2007年7月26日
東京から鈴木氏がやって来た。城ケ崎以来の再会、数時間で青巌峡のルートを11本登り(5.11を1本、一撃)、スーパー十勝に乗って慌ただしくかえってしまった。
2007年7月25日
はるばる遠別から、林さんがやって来た。柔道2段だそうで 目をみはるような肩パワーと身体のコアパワーをみせた。遠別町は早急に体育館にクライミングウォールを建設するべきだ。
2007年7月23日
オダミツアキはこのごろ登りもしないで自腹をさいてリボルト、ばかりしているらしい。それはそれでまことに助かることではあるが、あの人もなにかさみしいことでもあるんだろう。
2007年7月22日
スクールなし、金山湖を散策する。この広い湖畔にテントは3張りのみ。ラベンダーがアンビリバボーに美しい。家に帰って庭の荒れ地で今年最後のワラビを(しかしあっという間に)50本ほど収穫、
わたしには人々が都会に集中する理由がさっぱりわからない。
2007年7月21日
ボルダリング講習、タナカン大王の掛け声にあわせて私たちは少し水かさの増した鵡川をザブザブとわたった。スポッターとマットが多いせいか今日はハイボルダーでもつっこんでいく人が多い。夕方終った時は内心ホッとした。
2007年7月16日
合宿最終日、青巌峡。真っ赤なチャート、このごろ風通しがよくなって結露しにくくなった。何本か登って、シャローウォータートラバースへ。クマダチカ決死のパフォーマンスは爽やかな感動をよんだ。
2007年7月15日
熊田さん、菅村さんに、青木夫人をくわえて西岩峡へ、そばの川がサラサラと流れて気持ちがよい。青木夫人はこのところ小樽赤岩以外の5.11にも手がとどくようになった。スゴいことだ。
2007年7月14日
朝、旭川駅で熊田さん、菅村さんとシーサイド以来の再会。愛別で吉川夫妻と合流して石垣山をめざす。ナルコレプシー、野崎村とのぼり、フィックスロープをたどって最近開拓されたエリアへ、真ん中のクラックにとりつくがスッキリしたハンドクラック(5.10a?)でちょっとビックリ。ラインを終了点から上のフェースにつなげてみてはいかがでしょうか?
2007年7月9日
一週間ぶりに南富良野の家に帰ってきた。さすがにつかれている。しかし目をやるとなんとまあ家の前の去年までデントコーンだった広い畑には一面にジャガイモの紫の花が揺れているのであった。芋の土、尊きもののごとく踏む(盗作)
。
2007年7月8日
久々に4連チャンの講習だった。岩は名寄と旭川の西岩峡。参加者の人が去年は難儀してたところを、今年はスラリとのぼっていく様をみると、その人の日々なぞを想像してしまうもんだ。
2007年7月3日
白昼、ハンマードリルを抱えて上の木から懸垂。美瑛町の皆さんごらんあれ。せっかく生きてんだしやるだけやったるで。
2007年7月1日
鵡川は台風シーズンになると暴れ川となってあたりの様相を一変させる。ボルダーがあらわれたり消えたりする。取りつきがよくなったりえぐれたりする。今年はここ10年来の大当たり年。昨年よりたくましさをましたノブとおいしいところから登りまくった。
2007年6月28日
近頃、雨が少し降ったのでもしやと思い、でかけた。あった、枯れ木にタモギの黄色い花が目にも鮮やかに咲いている。南富良野町のみなさーん、大変です、タモがもうでていまーす。と防災無線から叫びたい。
2007年6月27日
朝、日高のキャンプ場に行ったがもぬけのカラであった。小山田パーティーは風のごとく去ってしまったのかと思ったが神居岩に行ったらしい。それにしても小山田大は10何年前北海道にきたときとかわらず、登れてもたいして得意がる様子もなくつぎつぎにタンタンと登るのであった。
2007年6月23日
今年の異変は、虫がなまら的に少ないことだろうか。6月はどこの岩場でも車を降りるとすぐに(ウワワーワーン)と蚊と蚋と虻と蜂が嬉し泣きしながらそこら中を旋回し始めるものだが今年はそれがない。えかったえかった。今日の小樽は寒くてジャンパーを羽織っていても震えがくるほどだった。松井さん復活、ドン中道氏と(ファイアーマン)の横にボルトを打ちまくったらしい、がやってみたら5.9しかなかったそうだ。ルート名は『火の見やぐら』とカナリおしゃれだ。
2007年6月21日
クラックボルダーへ行った、がハッと気がついたらジャム指の痛みに耐えかねて隣のカンテを登っていた。こんなことでコブラクラックは大丈夫なのであろうか。そこそこにして青巌峡をめざす。なぜか小山田大とウサミくんがぬれたぶったまげ岩と闘っていた。
2007年6月20日
日高町の金沢鉄工所にケミカルの液剤を買いに行った。カナザワさんは相変わらず元気そうだったが、20年来の仲間のひとりが体調をくずしているらしい。なんとか頑張ってほしいものだ。
鵡川で来週のボルダースクールの偵察をしてから青巌峡をのぞいた。平日とは思えない賑わいであった。小田さんが(侵略戦争)と格闘していた。あいかわらずリッパな筋肉をしているな。どんどんハマッてもっとリッパになるのだ。
2007年6月16日
70代にして進化をつづける夫妻と神居古潭へ、『ゲバコン』は亡くなった三和さんとネズケンの作った快作。ツルツルホールドでのトラバースからヒールフック、ガストンでのバルジごえと多彩なムーブがいやらしい。ノーテンをめざして私たちは太陽が尾根にかくれるのを辛抱強く待った。
2007年6月15日
ボルダー冊子、(北の大地でボルダリング2007年6月版小樽赤岩収録106ページ)できました。秀岳荘でお求め下さい。(1200円)
2007年6月13日
気温30℃、ハヤウチマンと美沢ボルダーにいく。山と雪渓と畑の美しさにしばしボーゼン。クライムはヌメッてラチがあかない。
あきらめて美瑛のクラックをめざす。ここは層雲峡と同じ溶結凝灰岩(火砕流が固まったらしい)と思われる。ここにはなんとも素晴らしいクラックが5本ほどある。が町有地の立入禁止の看板が立っている。美瑛町はこのクラックの素晴らしさを理解してほしいものだ。今日のところはフィンガークラックの下の方をボルダーで登ったが上にいくにつれ細くなるし、全長は20メートル近いので通せばかなりの難度だろう。ルートになるかどうか?最初の核心は町から丸見えのこのクラックの終了点に素早くケミカルアンカーを打ち込めるかどうかだろうね。
2007年6月9日
半年ぶりの青巌峡、我慢できずスクール開始の一時間半まえに到着、ついに樹海ロード〜占冠線が開通してあたりは景観が一辺。トンネルを抜けるとそこが青巌峡だった。
2007年6月6日
勝つか負けるかそれはわからない。それでもとにかく闘いのー出場通知をにぎりしめてー、あいつは海になりましたー。と中島みゆきを歌いながら青春を謳歌していたアメマスのタケゾウ(29センチ)は私の手におちた。少し上流で若いマツコ(20センチ)もいった。
2007年6月3日
小樽から南富良野の我が家をめざす。新篠津あたりから一面にひろがる麦畑が青い。桂沢湖を抜けて富良野を通り家の近くまでくると芦別岳にはまだ雪が残っている。あーなんという景色だ。帰り着いて玄関をあけはなつ。荷物を降ろすのは明日にして、途中で買ってきた焼酎をあおる。あー楽しい旅が今終わったのだ。
2007年6月2日
赤岩西奥へ、20年近く前初登したドゥマガジンをリードする。長い凹角ズーッと足はステミングでふくらはぎが張った。青木夫妻はジリジリと登っていった(下写真左)。その他、天狗山ロープウェイの右のハング越えにもトップロープでトライした(下写真右)。ロープウェイよりハングは小さいがこちらの方がむつかしかった(5.12)。だれかボルトを打ってリードしてくれないものか?松井さ-んカミンバーック!!
2007年6月1日
城ケ崎では、スクールが繁盛しすぎて(それほどでもないか)ブライベイトクライミングは半年で合計13日しかできなかった。それで今日の私は(ドルル..ドルルゥ..)
と唸りをあげて赤岩、『翼あるもの』(5.14a)の2P目に挑んでいった。赤岩のヌシ中道氏が「ハイ、おちついて おちついて」といいながら高いところでビレイしてくれた。ノブが隣のルートの終了点でカメラをかまえる中、2回目でビレイアンカーにたどりついた。中間のハング越えが核心だが上下のスラブはランナウトする(というか上の8Mはノーピン)というつくりになっているので是非だれかやってほしい。
2007年5月28日
いつもどおり4時前に起きて、マッサージを2時間する。いよいよ旅立ちの朝だ。箒山と万三郎岳に別れを告げる。湧き水をペットボトルに満たし、クレソンを収穫して山を下る。免出さんにコブラクラックの資料をもらう。資料が気になって信号待ちの車のオカマを何度も掘りそうになった。日本海まで横断して2日後の新潟発フェリーにのる予定なので気持ちはのんびりしている。夕刻湯川の先の河原に到着。千曲川のほとりを知らない黄色い花々が埋めているのであった。
2007年5月27日
カオバレが怖い、荒木さん(仮名)とシーサイドへ、気温が急上昇し、本格的に暑い。岩場には随分前にスクールにきてくれた松岡くん(仮名)がいやらしい海水パンツをはいて岩の上に横になっていた。しかもクラックは濡れていた。そこにヨセミテ帰りのクマボン隊も到着した。私と荒木氏は服を脱ぎ捨て、奇声をあげながら岩にカラテチョップを食らわしていったのであった。
2007年5月26日
山道をうろついて、今日はなかなかよい場所をみつけた。だいたい山に深くはいると静かにはなるが、電話がかかりにくくなる。理想と現実のハザマだろうか。ここは昨日降った雨が横の斜面からサラサラと大量に流れ落ちていて大変気持ちがよい。モミジの新緑がザワザワと風に揺れる。
ラジオを聴いていたらPPMの『風に吹かれて』がかかっていた。(シーサイドに同名ルートがあるが)、たしか歌詞に『すべての人達が解き放たれる日まで私達はどれだけ、見て見ぬふりをしなければならないのだろうか』という箇所があったはずだ。自分の年金額ばかり気にしている我が国民に聴いてほしいもんだ。
2007年5月24日
いつもの寝場所はまことに静かで快適で安眠できる。城ケ崎で半年近くやってこれたのもこの寝場所あったればこそだ。ところが最近道路工事で通行止めになってしまった。しかたなくあちらこちらと寝ぐらを変える。落ち着かない、眠りが浅くなる。ものの感覚が鋭くなる感じがする。
2007年5月20日
スズキさんと富戸駅で待ち合わせてフナムシと漁火、フナムシではアルバインクライマーとおぼしきひとたちが登っていた。スズキ氏は歳ですから、といいながらもイサリビライト以外はスッと登ってしまった。
2007年5月19日
朝、雨が降っていたので近場にいこう、ということで南壁へ、途中から雲も晴れて、強い風に新緑がソワソワと騒ぐのであった。津軽のひと、天内氏はジワジワとのぼる。今日はフォローながら5.10Cを一撃してくれた。途中からあらわれたニーちゃんたちがマルチルートをヒラヒラと格好よくのぼっていった。リクエストに答えて私も、ハンドバイスをひさしぶりに登った。
2007年5月18日
明日に備え城山に移動。大仁の古本屋に入って文庫本を4冊売って2冊購入。カナダのガイド本と(日本人はなぜこんなに幼稚になってしまったか) というようなタイトルの本を買った。カナダのほうは随分古い。アメリカにいくにはビザがいるようなことがかいてある。役に立つのだろうか。(カナダツアーに関するお願いはコチラです)
まあ旅というのはヘタな予備知識仕入れていくより何も分からずいきあたりばったりでハジと多少の危険にさらされるほうが我が人生振り返ってみても面白いような気がするのでまあいいか、と思う。
もう一冊のほうは日本人批判が書いてあるのらしいのだが 期待して読み出した割りには面白くなくて、よくみたら筆者が大学の先生だとわかって(お前に何が分かるか)というような気になってゴミ袋に捨ててしまった。
それはともかく城山の前の川原に車を停めて岩を見ていると何となく胸に迫ってくるものもある。いろいろなドラマがここであったのだろうなというようなことを考える。
2007年5月9日
安倍首相は、自分の故郷出身ということもあって期待していたがアメリカべったりが加速度をましただけでハナシにならない。だれか、アメリカと仲良くしなくてもいいんです。それはそれでなんとかやっていきましょう、ちょっと我慢すれば大したことじゃないんです。と声高に言う政治家はでてこないもんだろうか。
2007年5月5日
シーサイド、貸し切り。八幡野港を海パンで歩いているヒトもいる。5月ですからねぇ。教授と天内氏とJウォールの高校生加藤クンとのぼる。ちょっと暑かったが7本ほど登った。
2007年5月4日
車のシートの下になっていた北海道道路地図を引っ張りだしてページをめくっているとワクワクしてくる。北海道に住んで何年になるのかよくわからないが、これまで常に自分は北海道においてはビジターである、という感覚があった。だが地図を眺めていると、今さらながらこれまで、いろんなとこに行ったなと、つくづく思う。ウロツく目的の中で、一番多かったのはやはり岩探しであった。知られざる岩場との巡り合いに胸ふくらませていろんなところに車を走らせた。
そんな岩探しのハナシのひとつを書いてみたい。北海道の南のほうに豊浦町というところがある。太平洋に面し、北海道にしては雪が少なく冬も比較的、温暖(?)なところだ。ある年のクリスマス、私はこの町の(こぼろ)という駅に敢然と降り立った。降りてはじめて分かったことはここが人里とは隔絶された太平洋の崖っぷちに穿たれた2つの長いトンネルに挟まれた、まったくの無人駅であるということであった。人里にたどりつくには今、くぐってきた長いトンネルを8キロほど引き返して礼文華駅に引き返すか、さもなくばこれまたさらにながいトンネルをくぐって静狩の町に出るしかなかった。しかも(これは列車の中でも車内放送されていたのだが)次の列車は事故のため4時間待たないとこないのであった。
そもそも私がここに降り立った理由は、いつか見た新聞記事のせいであった。道南の礼文華海岸というところに海からしか、いくことのできない岩屋観音という観音像がある。ロマンチックな話だ。しかも写真には観音像を取り巻くように、巨大で硬そうなルーフ
が写っていた。正確な場所はわからなかったが道路地図から見当つけてヤブこぎ覚悟でおりたったのがこの駅だったのである。
私はプラットホームだけの駅に立って途方にくれた、が、ふと50メートルほど先に一軒の掘立て小屋があるのが目にはいった。近づくと人の気配を感じる。扉をたたくと声がした。おそるおそる戸を開けると、4畳半ほどのなかに木製のベットがあって人が横たわっていた。ヒッピー世代の人のようだ。足が悪いのだろうか。かなり古いタイプのラジカセからラジオが流れていた。炭でも焼いているのだろうか、それとも私のような人間に道先案内をする仕事なのだろうか。岩屋観音に行けるか尋ねると、行き方を教えてくれた。
ところどころ雪の積もった小道を下っていくと20分ほどで小さな入り江に辿り着いた。手入れのされた洞だった。岩は火山灰の中に火山弾をはめこんだような集塊岩だ。しばし海にみとれていると雪がチラチラ舞いはじめてきた。あわてて引き返す。小屋に戻ると氏は迎え入れてくれた。ここだと寒いでしょう、と聞くと、それがまたいい、と言っていた。10分ほどして別れを告げ、教えられた沢に入りスネまでの雪を運動靴でラッセルすると40分ほどで国道にでた。そこからトラックをヒッチして車のところまで帰りついた。あの人は今どうしているのであろうか。
2007年5月3日
今日は登りにいこうと思っていたが先週、観客の多さに頑張り過ぎたのか、近ごろとしては珍しくコシのバランスが崩れているのを感じる。胸郭のホネにまで影響が及んでいる。レストと決める。世は連休後半でござる。標高500メートルのここから見晴らすと大川の国道ではノロノロとしか車が動かない。じっとしてたほうが利口なのか。城ケ崎滞在も残り一月となり、やり残した課題ばかりでやっぱ歳くってるからだろうが、それでもコシの悪かった時期を思えば全くもって気は楽だし、いやいや見てろよというあながち根拠の無くはない気持ちもムラムラと湧き起こる。空は晴れて酸素は濃い。
2007年4月29日
ワレワレは門脇崎への突入をこころみたが、連休2日目とあって駐車場にたどりつくのは容易なことではなかった。つり橋が落ちそうなぐらい人が群がっていた。それはおおげさか。まあいいや、最近あまり登っている人をみないがここには、なかなかよいクラックがある。まずはゴリラクラック(5.9+)とキングコング(5.11a)にトライ。ゴリラは、ワイドハンド、キングコングはフェース系のムーブである。キングコングはまつどの玉谷氏とはるばる三重から参加してくれた田中くんが一撃した。午後からは大テラスに移動してホシナクラック(5.11d)とスカイラブ(5.10)
にトライした。ホシナはフィンガー、スカイラブはハンドのスッキリしたクラックである。途中から波がたかくなりズラも飛びそうな風になった。最後は全員、ザックを背負っての、のぼりかえし。つかれたが登り切ると観光客の拍手喝采が待っていた。
2007年4月26日
ついに晴れた。車の中のくさったようなもの、すべて引っ張りだしてそこらの草むらの上にひろげるとあーいい気持ち。人間も沢に飛び込むとあーさらにいい気持ち。山菜の収穫に出立。海岸でアシタバと二輪草とキクラゲとスギ茸をゲットした。
二輪草は猛毒のトリカブトと似ているので注意がいる。二輪草の花は白いがトリカブトは紫のきれいな花を夏につける。林道でワラビとフキを収穫。山菜狩り人口もこれからどんどん減っていくばかりだろうからなんぼでもあるぞ。タケノコもでているはずだが、竹林に突入していくときには脈が速くなってしまうのだ。
2007年4月24日
免出氏、けがのレイオフから復活。やれうれし。2本の5.13と1本の5.14にトライした。やれ疲れた。先日、長崎からやってきた中学生がシンデレラボーイを一撃したと免出氏がわがことのようにエバッていた。だが悟空ハング直上でははまっていたそうだ。えかった、えかった。
2007年4月21日
今日から鷲頭山でスクール再開の予定だったが昨日の予報が悪かったので早めに中止をきめた。雨が降ったり晴れ間がのぞいたりをあわただしく繰り返す。昼から湿気をふくんだ森の中を歩く。トリカブトの群落がまぶしいばかりだ。
2007年4月17日
帰ってきた。山々の緑が濃くなっている。山椒の若木に葉がたくさんついている。深く息を吸い込むのであった。今回、一番不思議だったのは、父親の死に対して悲しみが訪れないということであった。不仲な時期があったにせよ内心は嫌っているつもりはなかったので、そんなはずはなかろう、今日くるか明日くるかと覚悟していたがこないものはこないのであった。肩が軽くなった感じばかりがする。患っている期間が長かったのできっと私の中ではすでに決着のついた問題となっていたのであろう、と思うことにした。
2007年4月14日
迷ったが山口の実家に帰る。余命1年宣告を正月に受けた父親の入院する病院で付き添いをする。付き添い2日目、病状急に悪化してあっけなく死んだ。悲しみはあまり感じず、妙な解放感がただようのであった。
2007年4月8日
土曜シーサイド、日曜はファミリーへ、4月になってクライマーの数も減った。奥多摩や奥秩父が賑わっている時季であろうか?サンセットエリアは照り返しでヌメりワングレードアップでゴンス。だがそれ以外のところはまだまだ充分いける。昨年も5月いっぱい城ケ崎にいたが初夏の海風が強くなってきて風のとおるエリアは快適なもんすよ。
2007年4月2日
川奈崎をブラついた。川奈ゴルフ場の灯台の真下にあたる。かつてトップロープの課題をつくったが今ならリードできるのではないかと思いいってみた。ゴルフ場の隅を横切って坂をくだって海岸におりる。海岸にはいろんなものが散乱していた。椰子の実やら救命胴衣やらどっかのお寺の祈願札やら..。いろいろなドラマを想像してしまった。
かつてつくったルートは10年来の川奈崎沖群発地震にもかかわらず無事であった。潮がひいているのでとなりの洞穴までトラバッてみようとしたが、スベって海におちてしまった。あせったが水位は膝までしかなく水はぬるかった。
2007年4月1日
土曜はフナムシと漁火、日曜は日蓮崎へ。土曜の昼過ぎ、激しい俄雨がふったが雨に強い漁火はぬれなかった。風のつよい日曜は村田氏が5ケ月間のトライの末、ついにインディアンドールの終了点に立ったのであった。
2007年3月28日
あつい。5月の気温らしい。赤沢港にいった。ここにはなんとか今シーズン中にのぼってしまいたいプロジェクトがある。3メートルほどの台座の上に6メートルの110度の前傾壁。アンダーやサイドなどホールドが多彩で面白い。ブロッカーを使い苦労して3本目のボルトを打ちおえた。ムーブもだいたいかたまったので誰かビレイしてほしいが、唯一の心配は岩のうしろにでかい亀裂がはいっていることだ。以前は地震研の亀裂幅観測装置などもとりつけられていた。しかし今の日本、安全過剰のような気もするのだ。
つづいて富戸へ、一月の波の高い日にはじめてさわった思ったほどはおもしろくなかったがなかなかむつかしい、ボルダーへ。一段下がった取りつきからアンダーでリップの小さいカチをとって上をめざすのだが前回はふられてとれなかった左の穴がとれるようになったのでヨシとしたい。(ムービーのランディングが不自然だがそこがたかいのさ。)
エリアには埼玉からの高校生たちがボルダーしにきていた。「どこもランディングがわるい」といっていたが危険もエンジョイするのがアダルトってもんだぜ。ボンさんたちよ。
2007年3月26日
晴れた。今日も休み。休んでばっかだが、これでもコシの悪かった10年よりはよっぽど元気なものなでまあヨシとしよう。スーパーに買い物にゆく。トロトロと坂をくだってゆく。山のふもとの集落の手前にこのあたりのご先祖さんたちの墓がある。海も山も間近にでかくみえて、とおるたびこりゃいいとこだと思う。思わずパチリと一枚。
2007年3月25日
昨日の昼過ぎから降りだした雨は勢いをまして夜通し底がぬけたように降るのであった。夜があけたがガスって なにも見えない。下の沢からはゴーゴーとすごい音がする。一日中どこへも行かず、横になっている。このごろ疲れがたまっていたのでなんとなくホッとした気持ち。
2007年3月22日
新月。春の潮が、大きく引いた浜にはいろんな貝がうごめいていた。歩き廻ってすぐに袋いっぱいグットした。穴釣りをしていたニーチャンはクロソイを釣っていた。潮の満ち引きは月の引力によっておこるらしい。そういう気持ちで月を見ていると右が欠けた月というのは日々細くなってゆく月だ。が新月を過ぎると反対側から満ちてくる。人生というものもかくあるものなのかと思うのであった。
2007年3月20日
春は伊豆南端の石廊崎から花の種を撒き撒き馬車にのってやってくる。川端康成の(伊豆の踊り子)を、読んだ。まことにさわやかなハナシで感銘を受けた。(今、ひとと別れてきたところなのです..エッエッエッ)と学生さんは泣くのであった。いい話だ、自分が学生だったころ、読んだ記憶があるが、その時は(なんていやらしい学生さんなのであろうか)と思ったものだ。
が、やはり時が人間を変えるのであろうか。ほかに伊豆半島を舞台にしたものでは井上靖のしろばんばが好きだ。若い頃から幾度となく天城湯が島を訪れたものだ。シーサイドの同名のルートもやって
ほしいものだ。
2007年3月19日
週末は門脇、オーシャン、なみだちとまわった。チャームポイントやヘッドオポジションなどフィンガークラックをのぼる。ヘッドオポジションはひさしぶりにやったがかたちはフィンガークラックなものの実際はオカシラをチムニーっぽい穴につっこんでのぼる。ズラがとれそうだったよ。
2007年3月10日
越石さんと熊田さんがやってきた。昨年のクラック講習に来てくれた。その時が初めてのクラック登りだったと記憶している。今では、もうすっかりクラックからは足を洗っているのかと思っていたら熊田さんはゴールデンウィークには2度目のヨセミテ行計画とのこと。是非おだった米国人をたたきのめしてほしいものだ。私も今年はカナダでコブラクラックと闘いたい。
2007年3月5日
土曜はボルダリング講習、日曜はクラック講習(写真)。 ボルダリングは大川と城ケ崎の新エリアで行った。城ケ崎の新エリアは去年見つけていつかスクールをしたら面白いだろうと思っていたので願いがかなったわけだ。スゲームズイのができるかどうかはわからないがトップロープをつかえば6クラスはいろいろ楽しめそうだ。
場所知りたいひとはまつど岳人か、知るひとぞしる本庄さんのHPをのぞいてみてください。日曜の日蓮崎は順番待ちができるほどの大盛況。クラックスクールの時はいつものことながら、皆の衆、午後にかけ序々にジャムがきいてくる。よかった。よかった。
2007年3月1日
あたりは春だ。北海道にはまだ遠いかもしれないが、ここではたまりかねたように木も芽を吹いた。下の方で行われていた堰堤の工事も終わってあたりは静けさにつつまれる。今日は城ケ崎を歩いてボルダー偵察をおこなう。いろいろ歩くがやっぱ、おたつ磯はいいエリアだ。
20年も前にヒッチハイクで初めて城ケ崎にたどりついた。門脇から夕闇と競争するように走っておたつをめざした。そしてすぐに悟空ハングに挑んだのだがのぼれず成功したのはそれから3年後だった。そんな日もありき。だけど今こうしていると今こうしてやってるのがやっぱ一番楽しいのかとも思うのだ。
2007年2月28日
川奈ゴルフ場の下の断崖偵察、別荘地のオトーサンに「この先降りられますかね?」と尋ねるとこないだ人が落ちて死んだのでヤメロとのことであった。がなんとかなるだろうと判断して私は断崖に近づいていった。固定してある古いトラロープを伝ってくだるがなるほどズリズリで悪い。クーラーボックスを背負ってこの坂は厳しいだろうな。
5分ほどで海岸に到着。降りたって右手には取りつきは海なもののなかなかの岩壁があった。ダウンナップでビレイポイントをつくれば20メートルほどのきれいなフェースルートができそうだ。左手にはちいさいながら硬そうな岩にクラックが2本走っていた。昔、岩雪に発表された国分氏のルート(5.12のためにその1
その2 )はこれだろうかと思った。ともあれ誰もいない浜辺を歩くのは気持ちのよいもんでございました。
2007年2月24日
門脇、波が岩場の下まで押し寄せていた。私達3名は熱き思い(5.11C)にとりかかった。まずはN隊員がリードでとりつく、がトップロープでもノーテンクリアはしていないのだ。緊張は隠せない。これまで幾多の難ルートと闘ってきた隊員だがハング下で手間取ってしまう。「いけーっ」下からの叫びは風にかきけされる。ハング下のアンダーで引き付けてよく遠いガバをとったがそこで無念のフォール。
つづいてT隊員が悲痛な面持ちで登場。今日は体調があまりすぐれないようだ。それでもリードしようとはなんという精神力なのであろうか?私はこころの中でエールを送った。氏は(調子はわるいのはわかっているわ。でもやれるだけはやるのよ、カズマッさん)とかなんとか目で言っているような気がした。それで私も(いくんや思いっきり・・・)と目で応じた。
T隊員は苦痛を額ににじませながらもジワジワと前進していった。だがダメだ。キレの悪さはかくせない。N隊員の少し下でスパークした。だが両隊員とも気持ちのはいったのぼりで私は感銘をおぼえた。答えるように釣り師の竿に光る魚がかかった。釣り師は誇らしげに魚をかかげた。
2007年2月20日
はるばる北海道からやってきた青木夫妻とシーサイドへ行った。平日とは思えないほど人がいた。知らない外人クライマーがのぼっていた。ケンジ飯山がさかんにフラッシュをたいていた。ホスト役の日本人のニーちゃんの方がだいぶうまいような気がしたけどアレだれなの?
2007年2月18日
雨。浮山に行ったらクラックから水が噴き出していた。スクール中止。所在なく遊歩道を歩く。
2007年2月17日
シーサイドへ。クライマーの人気はボーイズ&ガールズシリーズに集中している。グレードが辛いルートやプロテクションがわる(そうな)ルートは全く見向きもされない。同じグレードならホワイトシャークよりドラゴンフライの方がずっとカッコイイと思う。クッキー&クリームファナティックも名前と違って実にオシャレなラインだ。ストロベリーティーも渋い。
2007年2月15日
夜通しの風と雨で車は寝台列車のように翻弄されるのであった。一夜あけて晴れた。ものの空には糸カスのような雲が強風に流される。海には沖まで白波がたっている。ところで前傾壁用のクライミングシューズのゴムがない。靴を買わなければならないのだがアメリカ製品はもう買わないことにしたのでそうなるとスポルティバあたりということになるがコブラは当分入荷しないとのこと。困った。
そこでレッドチリの紐じめタイプをスリッパに改造してみることにした。ランドのゴムや靴のベロを様子をみながら少しずつはがしていくと靴の調子が変わってくる。なるほど、このゴムはターンインに必要なのかと気付いたりする。つい時間のたつのを忘れてしまった。それでともかくも『ブゥードゥー改』ができあがった。一体どうなのであろうか?
2007年2月11日
土曜はシーサイドでフェース、日曜はオーシャンと日蓮崎でクラックのスクール。オーシャンではルーフのホッテントットにトライ。途中から飛び入り参加した千葉隆氏がクラックをカチのぼりしてわかせてくれた。
2007年2月9日
南富良野の家をでてはや3月、車生活にもすっかり慣れた。ものの腰や前腕には疲れがたまってきた。今週は平日のクライミングも中休みとする。海岸の遊歩道を歩く。波はおだやかで人影もない。キクラゲやアシタバをとりながら歩く。こさいつなの磯に降りる。ここには謎の住居跡がある。人目につかない入り江の隅の洞窟には何年前かはわからないがかなり長い間ひとが住んでいた痕跡がある。
このあたりは城ケ崎でもかなりアプローチの不便なところなので気付いているひともあまりないのかもしれない。十畳ほどの洞窟は耐震強度にやや不安はありそう、かつ夏は蚊がうるさそうだがなかなか快適そう。鍋やフライパンはじめいろいろ家財がそろっている。住人は読書家だったらしくおびただしい本も山積みにされている。宗教関係の本からイヤラシめのもの、俳諧歳時記なんてものまである。住人は今どうしておられるのであろうか?まさか奥のほうにいらっしゃるってことはないですよねえ。洞窟照りて
海の静寂のあつまりぬ(盗作)
2007年2月7日
車の免許書の更新のため郵便局留めの書類を受け取りにいく。一回北海道に帰らなければならないと覚悟していたのだが、なんとか住所変更なしで更新できそうだ。民営化が決まってどこの郵便局も手のひらを返して応対がよくなった。国鉄が民営化された時もそうだったがやればできるのだ。そのあと自動車運転免許所に電話したがたまげた愛想の悪いオバハンだった。
やっぱ人間、競争に晒され、まければ生活 生活に窮するという状況にさらされなければダメなんじゃないでしょうか?このさい役人はじめ二十歳すぎのハナタレからセンセーあつかいされてる教師とか大学病院の医者とか全部民営化しちゃったらどうなんでしょうか?ほんとに。
2007年2月4日
土曜は門脇南の磯(写真:熱き思いを込めて)、日曜は漁火とバンブー北磯に行った。門脇南と漁火はクライマーの多さに驚いた。このごろ城ケ崎のマイナーエリアが静かなブームのようだ。バンブー北磯ではスパニッシュダンサー511cをのぼった。私のつくったダイオウイカと格闘しているひと達がいた。塩ですべるでしょう。なんたってイカですからね。
2007年2月1日
今シーズン初のギズモ(8a+)へ。この課題はチーサイドにある小山田大初登の課題。2登はない。そもそもボルダーとしてのトライは下地が悪くまた高さもあってできないところを小山田大によって墳丘墓をおもわせる異形のプラットホームがつくられトライできるようになったものだ。毎年台風によってジワジワ流される。
去年何日かかけて積み直した。今年は原田くんが積み足してくれたようだ。これまで4年8日間のトライで3テンほどがベストバウトなので今日は2テンを目標にでかけた。ジャムが使えるのでわりと得意パターンだと思うのだが悪い。後半でてくるカチへのデットが確率がよくない。もうちょいで2テンでいけそうだったがやっぱダメだった。
2007年1月30日
稲取に買い物に行った帰り、風車の立つ尾根にのぼった。のぼるにつれ景色がよい。雲もなく城ケ崎 や大室山が遠くに見えた。が車から降りると突然めまいがする感じがした。世界がゆがむ。船酔いしたような気持ち。すさまじい電磁波だ。しびれるれるような風が風車から送られてくる。こりゃたまらん。
以前テレビでなんとか研究会の宇野代表が(右後方30度からグリーンが来ている)とかなんとか叫んでいるのを見てちょっと度胆を抜かれたことがあるが、そこまで敏感だと白い服きて逃げ回るしか方途はなかろうなと思った。もっとも日本じゃ無理でございましょう。シベリアか太平洋の無人島にいくしかないだろうね。
2007年1月28日
予報がはずれて土日とも晴れた。シーサイドへ。 プレッシャーやバーチカルダイレクトをやった。一日中、岩場にはいろいろな叫びが交錯した。汐は大きく引いて水辺の岩のしたには巻貝が光っていた。何年か前、うちのスクールにきてくれてた人達の顔もチラチラみえて個人的にはうれしいことだった。
2007年1月26日
朝、つづらおりの坂を下っていくと崖の下の杉の林で鹿が死んでいた。近寄ってみるとまだ若い鹿だ。首の骨が折れている。近ごろ多い猟師の銃声におどろいておちたのだろうか?成仏してくれろ。私は手をあわす。それから私はゆっくりとナイフをとりだした。
2007年1月23日
一時間ほど歩いた森の中になかなかのボルダーをみつけた。が遠すぎまする。散歩するときはいつも山菜とキノコも探すようにしている。雨あがりの水を吸ったキクラゲがあちこちにあった。
2007年1月20日
城ケ崎で過去に700本以上のルートを初登した人がいるのを知っている人は今や少ないのではないだろうか。山渓からでている百岩場ではこの人のルートがほとんど掲載されていないのは納得できない。あと浮山橋エリアのトポは大幅に違っているので編者はなんとかしてほしい。
2007年1月19日
大川、藪の中ボルダーへ。スラブボルダー(写真)の上の土と蔦を落としアップ開始、川の流れに研き込まれていてすべる。右はじラインはかぶっているがホールドは細かく体が浮かない、が今日はここで頑張るわけにはいかないのだ、つづいてかぶったカルマみたいな岩へ。(こりゃムズいぞっ)と思ったがツンツンの体勢でぶらさがって右にヒールをかけて押したらのぼれた。撮ったビデオを巻き戻してみるとなんだかエラく、チンケな岩に見える。そんなはずはないのだが。まあいいや、よし今日の本命にいくぞ。40分の急登で汗だくになって岩に到着。
この岩に来たのは2年ぶりだ。斜面から水平に飛び出したボルダーは一見の価値がある。課題は甘いふたつのスローパーから右の遠いポケットにランジして左手のそばにかかとをかけて左手をうつすのだが過去はいつもここで落ちていた。今日はポケットに両手を何度か揃えることができた。あとはヒールに力を込めてにじりあがり2本指のポケットをとればだいたいおわりだと思うのだが今日のところはそこで動けず。くやしいがそれなりに納得して急坂を下った。
2007年1月17日
5日ほど前、大川の沢を散歩がてらあるいていたら藪の中にちょっといいボルダーをみつけた。(これはもしかして)という気がしてきて結局今週は2日間、沢の中をうろつくことになった。が結局、たいしたものは出てこなかった。が渓流の中を歩くのは気持ちがよい。この沢の上流の山にはここ数年、ときどきトライしにいくボルダープロジェクトがあるのだが、のぼることと同じくらい、岩までたどりつくのがむつかしい。もう少し数があるとよいのだが。
2007年1月14日
予定を変更して、フナムシと漁火でクラックを登った。お相手のかたはいつもは谷川岳や剣岳で登っておられるとのこと。是非がんばってほしいものだ。フナムシではこないだスクールに来てくれたニーちゃんがパープルシャドーをのぼっていた。
2007年1月9日
岩探し、第458弾として天城山系オオマラ岩偵察を行なった。岩探し、過去の戦績は28勝380敗引き分け49である。勝ち星の中にはまあまあのものもあったが敗け星の中には遭難しそうになったり、あるはずの岩がなかったり悲惨なものも多かった。(引き分けは、つかえるといえばつかえる岩)だが今日は有望だ。この岩を深い谷のむこうにみつけたのは10年以上も前になる、が悪絶なアプローチに今日まで接近を阻まれていたのである。だが今日はやるぞ。
谷沿いの路肩に車をとめて岩を眺める。あいかわらずでかい。推定50メートルの大岩峰は牙のようだ。いくぞっ。木をつかみながら私は下降を開始した。谷底に到着。問題はここから先の鹿もころげおちそうな対岸の登攀である。私は意を決してとりかかった。あまり、たよりにはならなさそうな灌木をつかみながらズリおちそうな斜面を登っていった。10分ほどで急傾斜帯を突破、よし、あと30分ほどでたどりつけるぞ。胸が踊った。だがその時、木々のスキマから目指す岩が見えた気がした。いやな予感がしてきた。
岩を探したことのある人なら知っていると思うが、思ったよりアプローチの近かった岩というのは大概、モノが小さいのである。そんなはずは..。なんせオオマラ岩なんだぞ..。私は不安をかくし足元を見ながら登っていった。10分後顔をあげると目の前に岩があった。20メートルほどの岩はところどころにツタがからみ10センチほどの小ハングもあったがトライに先だっては壁全体にコンクリートまたはFRPの吹き付けが必要と思われた。私は男泣きに泣いた。
2007年1月7日
空は晴れていたが、海はおそろしく荒れていた。日蓮崎は昔、日蓮上人が流されなすったところだが今は蓮着寺という地元でもあまり評判のよくないお寺から一日中電子音声のお題目が流れている。ここのクラックは城ヶ崎には珍しくホールドのない純粋なクラックのぼりを要求されるものだがグレードが辛いのでこれまたあまり評判がよくない。一日中、足元を波が洗い、私たちは何度も波しぶきをうけつつ岩にしがみついた。
2007年1月6日
先日、学術的登攀論のヤマギシさんとスーパーでお会いした。イメージしていたよりずっと気さくそうな方であった。イラストレーターのチョックストーン珠代さんのヒミツについてもお聞きした。衝撃の事実であった。私は抱かせていただいたヤマギシさんのお子さんを危うく落としてしまうところであった。ちなみに子供を抱いたのは5年ぶりであった。
2007年1月5日
富戸にボルダーをしにいった。ダイバーか釣り師が流されたらしく、消防団の人々がでて、海上保安庁のヘリが低空を飛んでいた。ボルダーの上のいばらをはらい、トライ開始。高さはないものの前々から気になっていたライン、ホールドの配列がよい。と思っていたが、やってみると思ったほど面白くはなかった。がしかし完成はせず、それでもしかし登れると嬉しいにはちがいないのでパートナーのいない時はまた行ってみたい。
2007年1月3日
山に登る。いつも中腹で寝てるわけだが今日はいったことのない頂上をめざす。車をゲートにとめて歩く。坂道を歩いていると色々なことを考える。フセインは死んだのになんでブッシュは生きているのでしょうか。私ら世界をよそに(家族がいちばーん)なぞと声高に叫んでるバアイなんでしょうか?今の世の中ガキがグレたりヘタレるのは、あたりまえの結果ではないんでしょうか。一時間程で頂上に到達。誰もいないと思った頂上には猟師の車がたくさんあった。私にむかって犬が吠えた。
2007年1月2日
年末、年始はシーサイドの混雑をさけて門脇南のフェースへ。20年ほど前、はじめてルートを作った懐かしいエリアだ。熱き思いを込めて (511b/C)を登る。ビレイヤーがいなくて観光客のニーちゃんにビレイしてもらって登った思い出深いラインだ。まつど岳人のおふたりには是非登ってほしいと思った。
2006年12月24日
漁火クラック講習。ニーちゃんたちが来てくれた。まだ暖かくて、波打ち際を蚊が飛んだりしていた。リードを見ていると、なかなかハラハラさせられる。ものの是非これからもアグレッシブな姿勢で頑張ってほしいと思うのだった。
2006年12月22日
本当のこと書きます。もうすぐクリスマスです。ジョンコさん。あなたは僕のこと、どう思っていますか(ワナワナッワナッ)。ってなことを言ってるようじゃオワリだわな。今のアメリカ人とアラビア半島の衝突をかんがえればそんなこと言ってるのは、わたしはバカでございますといってるようなものだ。文明が発達すれば世界はどんどんせまくなる。マス化した社会でひとびとは自分の幸福ばかりを追いかける。アメリカ人には自分のひだりの頬を自分でしたたかになぐりつけてほしい。(こいつらどうでもいいけど)俺らこれからどうせればばよいのでしょうか。(原文のままby管理人)
2006年12月21日
プライベイトクライミング。まずは垂壁のトップロープエリアへ。私は去年開拓した7a+のランジの課題にシットスタートをつけ加えることができた。免出さんも去年いいとこで落ちてた右ラインを3回でのぼり、嬉しそうであった。(7a位?)つぎはダレかが削り放置されてるらしいチッピングルートへ、誰が設定したのかはわからないが(私ではない)2つほどのポケットの奥に判然とドリル跡がのこる。ものの上部でラインをかえる(易しいほうに)となかなかのルートになりそうだ。去年よりいい感じがしたがやっぱり核心のランジができなかった。
さてそれから本日のハイライトエリアへ。このエリアは去年みつけた。 城ヶ崎にまだこんなエリアが残っていたのかというような磯だ(ルート総数2-3本)。その後北海道にかえってからもこのエリアのことがずっと頭にあった。かぶりがきついのでエイドアップしながらなるべくナチュプロ、ブランクにはボルトを埋めてゆく。5本ほど打って本日終了。帰りの空中ユマーリングをグリグリで代用したらえらく疲れた。
2006年12月20日
坂を登ってくる途中、レゲー風のジーサンが道の真ん中にすわって助六弁当を食べていた。ジーサンは白いアゴヒゲをたくわえ、私と目が合うと、不審者をみるような関心があるような顔をした。私も同じような顔をしていたのだろう。ここに帰ってきてから、3年ほど前、沢沿いの林のなかで頭のハゲたジーサンのナキガラをみつけたことを思い出して胸が騒ぐ。あのジーサンはこれからどこにむかうのだろうか。ここまであがってくれば毎日海からのぼる日が見える。シカがいる。夜には下にはない満天の星がひしめくぞ。
2006年12月17日
2日間、シーサイド。この ごろ気温が下がってクライマーが増えてきた。シーサイドにはアンダークリングはあまりなくへしゃげたマルモチのようなホールドが連続する。知らない人どうしなのが刺激になるのか、岩場の雰囲気はよい。あいたルートからドンドンとのぼる。大岩さんのとこのイクさんも元気な登りをみせた。
2006年12月13日
ロクスノに人体実験を連載している新井くんから連絡をもらって朝イチに会いにいった。エナジーあふれる人で面白いハナシをいろいろきけた。午後からは岩場の偵察に行った。車を降りて通行止めの道を10分ほど下ると海岸にでた。ゴロタ石の浜をさらに10分ほどトラバると目指す岩場に到着。小さい岩だが5.13+位のなかなかよいラインが引けそうだ。(ルート総数2本)岩場の近くには、山菜が繁茂し、ハマジシャをせっせと引き抜く私を船の漁師がいぶかしげに眺めた。
2006年12月11日
沢で水を汲んでここまで上がってきた。一昨年一冬、車で過ごした時いつもいたところだ。結局ここが一番いごこちがよい。海は見えるし警察はこないし山の中だししずかだ。湧水が今日はにごっていたので仕方なく沢の水を汲んできた。ペットボトルをかざしてみるが澄んだ水なんでまあ大丈夫だろう。だがへんな藻がはえてたのがどうも気になる。
2006年12月9日
いがいが根の駐車場には椿が満開だ。その上に冷たい雨が簫々と降りすさぶ。本日スクール中止。今日はここが我が家でゴワス。今年はいけるとこまで車中生活することにした。同じとこにいるとすぐに通報されて警察の職質がくるので山の中のヒノキの林道やら海岸の空き地やらをウロウロして寝場所をさがしている。
気が休まらないようなもんだが私にとってそれはまことに楽しいことだ。今日までスクールを2回とプライベイトクライミングを1回行った。スクールをやってて思うのは中高年の人々にはつくづくバイタリティーがある。問題はその子供世代にハングリーさが足りないことか。ブライベイトクライミングの方は去年より力があるのを感じるのだがすぐには、なかなか、うまくはいかない、が、3月までにはそれなりの実をつけるに違いない。
2006年12月1日
小川山から城ヶ崎を目指す。標高1500メートルの川上村から300メートルの甲府に下ると気温が一気に10度あがった。旅はよろしいですね。新潟はシミジミと日本的だった。長野の人は妙にマジメな感じがしますね。5時間ほどで城ヶ崎に到着。すぐ岩にとりつきたい気持ちをグッとおさえて今夜は漁火の上で車中泊とする。ユラユラと熱い炎が胸に宿っているわけだ。
2006年11月30日
伴奏者Day2。前回の到達点ポケットからの右上のヘコミをとりにいくムーブができない。下部はヒールフックがつかえることがわかって楽になってきた。その上もなんとかなりそうなのだがこの右とりがどうやってもできない。悪いホールドで立ち込まなければならないのだが重心に近いところによいフットホールドがないので指がこらえられい。10時くらいからトライを始めて気がついたら日は金峰山に沈んでいた。カラスがアホーと鳴いた。
2006年11月23日
船にのって小川山にやってきた。中根ホタカの別荘のお庭番をして一週間程過ごす予定(お庭番といってもただ庭に車をとめて寝てるだけなんですが)。庭には以前はなかった、中根母の分骨墓があった。手をあわせると中根母の面影が脳裏をよぎった。さてさっそく小川山にいくと休みのせいか広場には結構ひとがいた。
『伴奏者』をやった。となりの『頭痛』はやったことないが伴奏者をやった。何回かやるとルート中3分の2くらいの高さにある右手の一本指の穴がとれた。おおっこれはいけるかと思ったがその上の4ムーブほどが核心のようで木にのってムーブをさぐったが
できなかった。おまけに結構恐い。落ちたら木をつかみそこねて腕の内側がズリズリにむけた。搬送車になるとこだったよ。となりの岩では、諏訪から来たというひとたちが元気に登っていた。
2006年11月19日
昨日につづいてスクール、 洞爺湖のほとり義経岩。昨日のいい気持ちが札幌のジム経営者の怒鳴り声で脆くもくずれた。煙草を吸ってる(多分)見ず知らずのクライマーを怒鳴り倒しているのだ。噂にはきいていたが一日中呆れた我が物顔ぶりだった。スクール中なのでなにもいわなかったがここはオマエのジムじゃないぞ。そんなに煙がいやならまずお前の車のアイドリンクをとめろ。
2006年11月18日
今シーズン、北海道ラストスクールは道南で開催することにした。伊達善光寺公園にやってきた。駐車場から中にはいると、いきなりオッと驚くようなボルダーがあらわれる。あらすばらしや。伊達市はこの地のボルダリングを是非黙認すべきだ。閉園している冬期だけでも。ランディングはいいし岩は硬いし数もまあまあ(つかえるのは10コ位)あるし、冬も雪は少ない。
ヒトシとノブとジョージ夫妻で6〜7課題登った。地質が専門の笑見子夫人によれば玄武岩に近い安山岩とのことであった。ちなみにこれらの岩は昔、有珠湾の噴火によってできたに違いないと私も力説した。
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